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「何が入っているか」より、「どう入っているか」

栄養は、足し算ではないのかもしれません

プロテインを選ぶとき、私たちは成分表を見ます。

タンパク質が何グラム、鉄が何ミリグラム、ビタミンが何種類。数字が並んでいると、その合計で良し悪しが決まるような気がしてきます。多く、たくさん、種類豊富に。足していけば、いいものになる。そう考えるのは、自然なことです。
でも、体は、足し算のようには栄養を受け取っていないのかもしれません。

ハーバード公衆衛生大学院で長く栄養を研究してきたデイヴィッド・ラドウィグ博士は、栄養をひとつひとつの成分にばらして考えることの限界を、繰り返し指摘してきました。
タンパク質が体に欠かせないのは間違いない。けれど、そのひとつだけを取り出して、ほかのすべてから切り離して語ることはしない。博士は、そう述べています [1]。

成分は、単独で働いているわけではない。この見方を入口に、少し考えてみたいと思います。

ひと粒の中で、成分は「一緒に」働いています

ここに、一粒の大豆があるとします。

その中には、タンパク質だけでなく、イソフラボン、食物繊維、ビタミン、ミネラルが入っています [2]。私たちはつい、その中からタンパク質という一成分を抜き出して「これが効く」と考えがちです。けれど、ひと粒の中では、それらは別々に存在しているわけではありません。もとから、一緒に収まっている。

近年、栄養学では、この「一緒にある状態」そのものに注目が集まっています。フードマトリックスという考え方です [2]。

聞き慣れない言葉かもしれません。かみくだくと、こういうことです。食品の働きは、含まれる成分の一覧では決まらない。それぞれの成分が、どんな構造の中に、どう収まっているかで決まる。同じ栄養素でも、ひと粒の中に自然に収まっている状態と、抜き出してきた状態とでは、体の中での振る舞いが変わってきます。

オーケストラを思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。

優れた演奏は、いちばん上手な奏者を一人連れてくれば生まれる、というものではありません。弦も、管も、打楽器も、それぞれが同じ場所で、同じ時間に鳴っているからこそ、ひとつの音楽になる。一人だけ取り出してきても、その響きは出ません。

食品も、これに似ています。ひと粒の中で、成分が一緒に鳴っている。その「合奏」を、できるだけ崩さずに受け取る。これが、丸ごと食べるということの意味です。

では、私たちはふだん、大豆をどう食べているのでしょうか。

「絞る」と、合奏は分かれていきます

大豆からタンパク質を取り出すとき、よく使われるのが、油を絞ったあとの大豆を使う方法です。こうして油を取り除いた大豆は、脱脂大豆と呼ばれます。市販のプロテインで広く使われている、なじみ深い原料です。

効率よくタンパク質を集められる、理にかなったやり方です。数字の上では、むしろ濃くなります。けれど、絞るという工程で、ひと粒が抱えていたものの一部は、タンパク質と別れて、こぼれていきます。

オーケストラから、弦楽器だけを連れ出すようなものです。

たしかに、弦の音は大きくなる。タンパク質という一つのパートだけを見れば、より濃く、より多く取り出せている。けれど、もとの合奏にあった響きの全部が、そのまま手元に残っているわけではありません。濃くすることと、丸ごと受け取ることは、同じではない。ここに、ひとつの分かれ道があります。

そして、この分かれ道は、思いのほか大きな違いを生みます。

ラドウィグ博士が成分への還元に慎重なのも、フードマトリックスという考え方が注目されているのも、見ているものは同じです。栄養は、抜き出した一成分の量では測りきれない。一覧表のいちばん大きな数字を追いかけるほど、ひと粒がもともと持っていた「合奏」からは、少しずつ遠ざかっていくのかもしれません。

だから、「絞らない」という選び方

「濃くする」の反対に、もうひとつの考え方があります。

絞って一成分を取り出すのではなく、ひと粒を丸ごと使う。タンパク質という一つのパートを引き抜くのではなく、ひと粒が奏でていた合奏を、できるだけそのまま受け取る。

これは、何かを足す発想ではありません。もとからそろっていたものを、崩さないという発想です。

大豆は、植物でありながら、タンパク質の質という点でも、もともとよくそろった食品として知られています [2,3]。「畑の肉」と呼ばれてきたのは、ただ量が多いからではありません。ひと粒の中に、よくできた合奏がもとから収まっているからです。だとすれば、その合奏を絞って分けてしまうのは、少しもったいない話なのかもしれません。

絞らずに、ひと粒を丸ごと微粉砕する。手間はかかりますが、そういう製法もあります。
合奏を、できるだけそのまま受け取ろうとする作り方です。

選ぶときに、数字の奥を見る

ここまで見てきたのは、ひとつのことです。

栄養は、成分の足し算では決まらない。ひと粒の中で、成分は一緒に働いている。だから、絞って濃くするより、丸ごと受け取るほうが、もとの合奏を崩さずにすむ。

成分表の大きな数字は、いちばん目立つ奏者の音量にすぎません。

ほんとうに聴きたいのは、その奥で、どんな合奏が鳴っているか、です。量の多さで選ぶのではなく、そろいごと受け取れるかで選ぶ。 そう思ってラベルを眺めると、その見え方も、少し変わってきます。

ただ、ここまでの話には、まだ続きがあります。

丸ごとの大豆を選べたとして、それをいつ、どう摂るかで、体の中での活かされ方は、また変わってきます。一度にたっぷり摂れば足りるのか。それとも、別の摂り方があるのか。

次回は、この「摂り方」に目を向けながら、毎日少しずつ続けることに、どんな意味があるのかを見ていきます。

【参考文献】
[1] Ludwig DS. Dr. David Ludwig clears up carbohydrate confusion. The Nutrition Source, Harvard T.H. Chan School of Public Health(Ask the Expert). 2015 年 12月 16 日.

[2]Fardet A, Rock E. Perspective: Reductionist Nutrition Research Has Meaning Only within the Framework of Holistic and Ethical Thinking. Advances in Nutrition. 2018;9(6):655-670.

[3] Messina M. Soy and Health Update: Evaluation of the Clinical and Epidemiologic Literature. Nutrients. 2016;8(12):754.

プロフィール

佐藤 洋平
医学博士 佐藤洋平
筑波大学にて国際政治学を学んだのち、飲食業勤務を経て、理学療法士として臨床・教育業務に携わる。人間と脳への興味が高じ、富山大学大学院でコミュニケーションに関わる脳活動の研究を行う。2012年より脳科学に関するリサーチ・コンサルティング業務を行うオフィスワンダリングマインド代表として活動。研究者からプライム上場企業を対象に学術支援業務を行う。研究知のシェアリングサービスA-Co-Laboにてパートナー研究者としても活動中。日本最大級のサイエンスブログ、Labo Brainsでは「シュガー先生の脳科学コラム」を執筆、脳科学に関する情報を広く提供している。